胸腺細胞の運動動態を制御する仕組みの一端を解明

〜生きたリンパ球におけるERK活性の可視化に成功し、組織内での活性変化をリアルタイムに観察〜

図1

生体内の細胞は、周囲の環境や近くの細胞から様々な物質を外部からの刺激として受け取っています。 細胞表面にある受容体がこれらの刺激を感知すると、細胞内の分子活性が順番に変化していき(シグナル伝達)、刺激に応じて細胞活動に影響を与えます。 シグナル伝達分子の1つ、ERKというタンパク質の活性化は、細胞の運動制御において本質的な役割を果たしていることが報告されていました。 しかしこれまで、このERKの活性を生体内のリンパ球においてリアルタイムに観察することは技術的に困難でした。 今回、わたしたちはマウス胸腺組織内を自由に運動する胸腺細胞においてERK活性を可視化することに成功し、ERKシグナルによる運動制御機構の一端を解明しました。 ERK活性化により運動が抑制されること、ならびにその抑制様式が機能の異なるT細胞間で異なることを明らかにしました(図1)。 これらの成果は、生体内におけるT細胞運動制御機構の一端を解明するもので、正常な免疫応答の破綻に起因する多くの疾患の病態解明への貢献が期待されます。 本成果は、2018年12月21日に米国の国際学術誌「iScience」にオンライン掲載されました (こちら)

図1: 本研究で明らかになったERKによるT細胞運動制御機構
(左上)ROSA26遺伝子座にERKバイオセンサー(EKAREV)遺伝子を導入し新規遺伝子改変マウスを作出しました。 (右上)胸腺組織内を運動する胸腺細胞のERK活性と運動速度をリアルタイムに観察できる研究手法を開発しました。 (下)ERK活性化により胸腺細胞の運動が抑制されること、ならびにその抑制様式が機能の異なるT細胞集団間で異なることを明らかにしました。

研究の背景

私たちの体をウイルスや花粉、がん細胞といった異物から守ってくれる免疫応答において、主要な役割を果たすリンパ球はT細胞と呼ばれます。 T細胞の前駆細胞(胸腺細胞)は、胸腺という組織内で様々な細胞間相互作用を経て正常な機能を有するT細胞へと分化します。 胸腺細胞の運動制御は正常な細胞間相互作用確立と関係するため、その分子メカニズムを理解することは重要です。 ERKは、T細胞受容体刺激により活性化され、T細胞の分化と成熟に必須の分子であることがわかっていました。 しかし、生体組織内を運動する単一細胞についてERK活性の経時変化を評価することが困難であったため、胸腺細胞の運動制御にERKがどのように関与するのかはわかっていませんでした。

研究の内容と成果

上記の問題を解決するために、今回の研究ではERKの活性を検出することができるセンサー分子(バイオセンサー)を T細胞特異的に発現するようにした遺伝子改変マウスを開発しました。このマウス由来の胸腺細胞を二光子励起顕微鏡という特殊な顕微鏡で観察することで(図2)、 胸腺組織内を自由に動き回る胸腺細胞一つ一つでのERK活性の変化(活性動態)をリアルタイムに観察(ライブイメージング)することができる研究手法を開発しました(図3)。

この研究手法を使ってマウスの胸腺細胞を観察することによりERK活性化が胸腺細胞の運動を抑制することを発見しました。画像処理や数理処理を加えERKの活性動態を1細胞レベルで詳しく解析すると、運動抑制様式がT細胞のサブセット(機能の異なる集団)間で異なり、特にCD4 T細胞ではERK活性そのものではなく動的変化に応じて運動速度が制御されることを見出しました。更に、T細胞受容体を介したシグナルが、CD4 T細胞におけるERK活性の動的変化を生んでいることを明らかにしました(図4)。以上の研究成果は、抗原提示に応じた活性化機構がCD4 T細胞とCD8 T細胞とでは異なるという従来の知見に関して、その生物学的背景を説明するものでもありました。

図2

図2 胸腺細胞の二光子励起顕微鏡観察
(左)遺伝子改変マウスより目的とする胸腺細胞集団を回収し、胸腺組織切片内へ移入させました。 (中央)胸腺組織切片内を自由に運動する胸腺細胞を、二光子励起顕微鏡を用いて観察しました。 (右)胸腺細胞1つ1つのERK活性を可視化することで、細胞間でERK活性の多様性が観察されました。

図3

図3 1細胞単位のERK活性と運動速度の計測
胸腺組織内を運動する胸腺細胞を、二光子励起顕微鏡を用いて観察しERK活性と運動速度を解析しました。

図4

図4 T細胞受容体シグナル欠損条件下でのERK活性および運動速度の解析
T細胞受容体シグナル刺激に必要な分子を欠損させた胸腺組織切片内に胸腺細胞を移入させ、ERK活性および運動速度を検討しました。 (左)T細胞受容体シグナル欠損により運動速度が上昇しました。(中央)また各細胞のERK活性は上昇しました。 (右)一方でERK活性の動的変化(観察時間内におけるERK活性値の標準偏差を評価)は減少しました。 これら結果から、CD4 T細胞はT細胞受容体シグナルを受けることでERK活性が上昇し、その動的変化に応じて運動速度が抑制されることが示唆されました。

研究の意義

胸腺細胞の運動を適切に制御することは、T細胞の正常な分化・増殖に必須であり適切な免疫応答の根幹を成しています。その破綻は、感染症や自己免疫疾患そして癌といった多くの疾患と関連付けられます。本研究で使用されたERK活性の可視化技術を応用することで、これらの現象や疾患への理解が深まり新たな治療法の開発に貢献することが期待されます。

今後の展開

本研究で用いた手法は、原理的には代謝制御や分化制御に関わる他の生体分子にも応用することが可能です。 様々な生体分子の動態を一つ一つ解明することで、T細胞研究の発展に貢献していきたいと考えています。


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