EGFRシグナル伝達系におけるフィードフォワードとフィードバック制御
および分子標的薬の感受性についての定量解析


背景

 細胞内情報伝達系の中で、Ras/ERKおよびPI3K/mTOR情報伝達系は細胞の増殖、分化や生存といった根本的な細胞機能を制御しており、これらの経路における遺伝子変異は様々な腫瘍を発生させることが知られています。細胞内情報伝達系は単に上流から下流に情報を伝えるものではなく、下流から上流へのフィードバック制御や、異なる情報伝達系が相互作用するクロストーク制御などを含み、非常に複雑なネットワークを構成しています。現在までにこのネットワークについて、数多くの構成要素が発見されてきましたが、全容の解明にはいまだ至っていません。また、発見されたそれぞれの構成要素の多くは断片的にしか理解されておらず、これらが連動することで情報伝達系全体がどのような挙動をするのかということは現在究明すべき課題となっています。

手法

 本研究では、Ras/ERKおよびPI3K/mTOR情報伝達系を統合的かつ定量的に理解することを目的とし、FRETイメージングによって取得した大規模データと、過去の我々の研究で得たパラメータやモデルを基にして、この情報伝達系についてのシミュレーションモデルを構築することを試みました。HeLa細胞において、EGF刺激に対するEGFR、Ras、ERK、S6K分子の活性がどのように変化するのかを、各種阻害薬を与えた場合と与えない場合についてFRETイメージングで測定しました。多量の画像を高速に解析するためのプログラムを作成し、これを用いて、FRETイメージングで取得した画像を解析しました。


結果

 FRETイメージングの結果は、種々のフィードフォワード、フィードフォワード制御の影響を反映していました。モデル作成の過程において、我々が過去の研究でモデルに取り入れていた経路のほかに、一つのフィードフォワード制御と二つのネガティブフィードバック制御が重要なものとして同定されました。このうちRSKを介したネガティブフィードバックは、複数のクロストーク反応が組み合わさったものであり、その個々の反応は過去に発見されていたものの、全体としてフィードバック制御を成すということは明らかにされていませんでした。また、シミュレーションの結果、これらのフィードフォワード、フィードバック制御の強さは、EGF刺激からの時間依存的に変化することを見出しました。


 さらに、ここで作成したシミュレーションモデルを用いて、抗癌剤として使われる分子標的薬が癌細胞内のRas/ERKおよびPI3K/mTOR情報伝達系にどのような影響を与えるのかについてシミュレーションで再現することを試みました。シミュレーションモデルに遺伝子変異と分子標的薬を導入し、異なる遺伝子変異を持つ細胞内の分子活性が分子標的薬によってどのように抑制されるのかをシミュレーションしました。その結果、BRafまたはKRas変異の癌細胞株に対して分子標的薬を単剤投与および併用した際の反応が再現されました。これにより、このモデルに含まれるフィードバック制御が、遺伝子の転写、翻訳を伴わない薬剤耐性(Intrinsic resistance)に関与していることが示唆されました。将来的に、定量的シミュレーションモデルの構築が、一人一人異なる性質を持つ癌に対して、最適な抗癌剤の組み合わせを予測する技術につながることが期待されます。





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