細胞集団による波パターン形成の新理論を発表

〜力学-生化学相互作用による集団の協調的な振る舞い〜



概要

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本研究では、理論物理学を専門とするEdouard Hannezo博士らのグループと共同で細胞集団運動時に見られる細胞密度やERK MAPキナーゼ分子の活性状態が織りなす波状の時空間パターン形成を説明する新しい理論を提唱しました。細胞集団が創り出す時空間パターンは生命科学のみならず非平衡物理学などの他分野でも広く関心を集めています。しかし、パターン形成における細胞の力学と細胞内の生化学反応との統合的・定量的理解は不十分でした。本研究では細胞が生み出す機械的な力や分子活性の測定・操作技術を用いて定量的なデータを取得し、これをもとに細胞集団で観察されるパターン形成の数理モデルを構築しました (図1)。数理解析により、波のような時空間パターンが生じる条件やパターンの時空間スケールを特徴づける量を導出しました。さらに、実際の細胞集団で観察される分子活性の時空間パターンが、細胞集団運動の促進に最適化されていることを理論的に提唱しました。本成果は、細胞に限らず能動的に運動する仕掛けを持つ物体集団の複雑流体現象の理解に寄与することが期待されます。本成果は、2020年9月29日に英国の国際学術誌「Nature Physics」にオンライン掲載されました。


研究の背景

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受精卵が分裂を繰り返して複雑な臓器を持つ個体になる、怪我をした後に元の状態に治癒する、といった私たちの体の中で起きる様々な生命現象には、細胞集団の協調的な振る舞いが必要です。以前私たちは、上皮細胞の創傷治癒過程において、様々な細胞機能を制御する『細胞外シグナル調節キナーゼ(Extracellular signal-regulated kinase、以下ERKと略します)』の活性が細胞同士の引っ張り合いを介して細胞間を伝播し、波のようなパターンを形成することで細胞集団での協調的な運動が実現されることを明らかにしました(Hino et al., Developmental Cell, 2020; 動画1)。しかし、その波パターン形成の定量的・理論的な理解は不十分でした。そこで私たちは、細胞同士の引っ張り合いなどの力学とERKシグナル経路を基軸とする生化学反応の連成システムに焦点を当て、協調的な集団運動を生み出す制御システムを再現・予測する数理モデルの創出に取り組みました。本プロジェクトでは、京都大学SPIRITSの支援を受け(プロジェクト名:細胞集団運動の統合的理解に向けたメカノバイオロジー研究の国際共同ネットワーク構築)、理論物理学を専門とするEdouard Hannezo博士らのグループ(Institute of Science and Technology Austria、オーストリア)と協働し、研究を進めました。

https://youtu.be/XUh7a6BAb_Q

研究手法・成果

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本研究では、細胞内のERK活性を可視化することのできるバイオセンサーやERK活性を操作できる光遺伝学技術を用いて、細胞集団運動時の細胞形態や力、ERK活性など複数量を測定・操作し、それらの相関を定量的に解析しました。特に、@細胞に伸展刺激を負荷した場合のERK活性動態 (図2)、A光遺伝学技術を用いてERKを活性化させた場合の細胞形態変化 (図3)、B細胞が基質に対して作用させる機械的な力の定量データを得ました。得られた実験結果をもとに数理モデルを構築し、数理解析を通してERK活性の複雑な時空間パターンを特徴づける量を導出しました。また、定量データを用いて数理モデルのパラメーターを算出し、このパラメータを用いることで細胞密度やERK分子活性の時空間パターンをコンピュータ上で再現することに成功しました (図1)。さらに、実際の細胞集団で観察される分子活性の時空間パターンが、集団細胞運動の促進に最適化されていることを理論的に提唱しました。本研究成果は、力学−生化学の連成作用を中心に据えた新たな多細胞動態メカノバイオロジー研究の基盤となることが期待されます。


今後の展開

能動的に運動する物体(アクティブマター)が群をなして生み出す協同現象は、分子からヒトを含む動物個体に至る様々なスケールで観察され、生物学のみならず物理学や化学などの観点からも盛んに研究が進められています。本研究は細胞集団が生み出す豊かなダイナミクスとその原理を示したものであり、他分野の基礎的な問題の解決につながることが期待されます。 また、ERK活性は臓器のかたち作りや腫瘍形成、創傷治癒など医療にも深く関与する重要なタンパク質です。今後、力学−生化学連成に基づく多細胞の協同現象の解明を進めることで、疾患の理解や新たな治療法の開発に役立つ基礎知見を積み上げる予定です。

研究プロジェクトについて

日本学術振興会 科学研究費(17J02107)、科学技術振興機構(PRESTO JPMJPR1949)、京都大学SPIRITS 2018、オーストリア科学基金(P31639)、欧州研究会議(851288)らの支援を受けて実施されました。Institute of Science and Technology Austria (IST Austria、オーストリア)との共同研究です。


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