網膜が持つ未知の光応答を新しい顕微鏡観察法で発見

〜光オフに応答したPKA活性化、桿体視細胞だけで起こることが明らかに〜



概要

網膜が光に応答して環状AMP依存性キナーゼ(PKA)を活性化する現象を発見しました。遺伝子改変マウスPKAchuの網膜で起こるPKA活性変化を詳細に顕微観察した結果、網膜を構成する140種類以上とも言われる神経細胞群の中でたった1種類、桿体視細胞だけが、光オフのタイミングでPKAを活性化することを明らかにしました。さらに、この現象にロドプシンが関与することが強く示唆するデータも得ました。桿体視細胞は暗所視を司る光受容細胞なので、当現象は暗所視力を支える仕組みの一つだと考えています。本研究成果は2020年10月13日、科学雑誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載されました。

研究の背景

当研究室が2011年に開発したAKAR3EV、および2012年に作成した遺伝子改変マウスPKAchu(系統名の由来は論文中のTable 1参照)は、生体内で様々な機能を示すPKAの酵素活性を、生きた組織からリアルタイムで顕微観測することを可能にしました。PKAchuはこれまでにリンパ球の研究に活用されてきましたが、私たちは今回初めて網膜を対象とする研究を行いました。

研究の内容と成果

最初に、網膜の観察に適した顕微鏡法の開発を行いました。PKAchuを用いた網膜研究は先行事例がなかったため、様々な試行錯誤が必要でしたが、最終的にPKAchuの網膜を生体外で灌流培養しながら多光子顕微鏡で観察する、という手法を確立できました(図1)。多光子顕微鏡が持つ優れた高さ方向分解能と深部可視化性能を生かすことで、厚さ約200ミクロンのマウス網膜の内部をほぼどこでも断層撮影することが可能になりました(図2A-F)。さらに、対物レンズの高さ位置を変えながら断層像を数十枚から百数十枚連続的に撮影する、いわゆるZ-スタックを取得することで、疑似的に横から見た網膜断面を観測することもできました(図2G)。

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次に、開発した手法で本当にPKA活性を観測できるのかを確認しました。過去の研究より網膜には、PKAを活性化するD1R型、抑制するD2R型の二種類のドパミン受容体が発現することが分かっていました。そこで、ドパミンを与えたPKAchu網膜を観測することにしました。するとドパミンを与えて10分で、PKAの活性化領域と抑制領域が浮かび上がってきました(図3)。この結果で、本手法が持つPKA活性変化の描出能力が実証されました。

最後は、本研究最大の発見につながった光応答観測です。顕微鏡の対物レンズから刺激光を射出して、網膜上に直径1ミリメートルのスポット光を6秒間照射したところ、PKA活性化が約20分間、照射部位だけで観測されました(図4A)。この光オフ応答について、Z-スタックによる5次元観察(XYZ三次元 + 時間 + PKA活性;図3A)と、高倍率の視細胞観察(図3B)で詳細に分析したところ、PKAを活性化しているのは桿体視細胞だけであることが分かりました。この観察結果と符合して、PKA活性化の作用スペクトルは、桿体視細胞の光受容体タンパク質であるロドプシンの吸収スペクトルと非常によく一致していました。加えて、明所で飼育するとロドプシンをほぼ全て失ってしまうアルビノのPKAchuでは、PKAは光オフで活性化しませんでした。これら詳細なデータについては当紹介記事に載せていませんが、もしご興味を持っていただけたならば発表論文(リンクはこちら)を読んでいただけると、とてもうれしいです

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研究の意義

以前よりPKAは、桿体視細胞にたくさんの標的タンパク質を持つリン酸化酵素(キナーゼ)であることが分かっていましたが、その機能を示す決定的なデータはまだありません。今回PKAが「光オフ」という意外なタイミングで活性化することが分かったので、これから桿体PKAの機能、特に暗所視力に重要な光感度増幅機能について、本格的な研究が進むと期待しています。桿体PKA機能の解明は、夜盲症の病態生理学の理解につながるかもしれません。

桿体視細胞は進化史の中で、暗所視力に特化した細胞として錐体視細胞から分岐して生じた、いわば後発の細胞と考えられています。本研究では桿体と錐体の比較実験も行いましたが、面白いことに錐体はほとんど光に応答しませんでした(図5)。つまり、桿体は進化過程で、新たにPKA光オフ応答の仕組みを獲得したと考えられます。本研究は、動物が暗所視力を獲得するに至った進化過程の一端を可視化したのかもしれません。

今後の展開

当研究室はPKAchuだけではなく、様々な酵素活性の観測に対応した「FRETマウス」シリーズを樹立してきました。本研究で確立した観察手法を他のFRETマウスに平行展開することで、網膜が持つ特別な酵素活性制御について明らかにしていきたいと考えています。

研究プロジェクトについて

科研費および科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業(CREST) の支援を受け、実施しました。


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