生体内で細胞の増殖を制御する仕組みの一端を解明

〜細胞増殖シグナルの可視化に成功し、腫瘍形成における変化を観察〜

図1

図1: 本研究で明らかとなったERKの制御機構の腫瘍形成における役割

生体内では、細胞は好き勝手に増殖するわけではなく、必要な時に必要な数だけ増えることが重要です。 多くの場合、細胞の増殖は"増殖因子"という物質が細胞表面の受容体に結合し、それを合図として細胞内でERKというタンパク質が活性化することで開始されます。 この機構の異常な活性化は発癌と関係しており、この機構を標的とした抗癌剤が開発されています。 これまで、このERKの活性を生体内でリアルタイムに観察することは技術的に困難でした。 今回、わたしたちは生きたマウスの腸上皮組織内でERKの活性を可視化することに成功し、ERKの制御機構の一端を解明しました。 また、腸上皮においてERK活性には一定した活性と一過的なパルス状の活性の2種類が存在すること、それらの活性がそれぞれEGFRとErbB2という異なる増殖因子受容体によって制御されていることを示しました。 さらに腫瘍形成過程では、EGFRの機能が増強されることで、ERK活性の動態が変化することを見出しました(図1)。 これらの成果は、生体内における細胞増殖の制御機構の一端を解明するもので、新しい癌治療戦略の開発への貢献が期待されます。
本成果は、2018年6月5日に英国の国際学術誌「Nature Communications」にオンライン掲載されました (こちら)。

研究の背景

図2

図2:ERKシグナル伝達経路

細胞は周囲の環境や近くの細胞から増殖因子を始めとする様々な物質を外部からの刺激として受け取っています。 細胞表面にある受容体がこれらの刺激を感知すると、細胞内の分子の活性が順番に変化していき、細胞分裂などの細胞の活動に影響を与えます。 このように細胞が刺激(シグナル)を受け取って自らのふるまいを決定する一連の過程をシグナル伝達経路と呼んでいます。 いままでに多くのシグナル伝達経路が発見されてきましたが、 特に増殖因子とその下流で働くERKという分子からなる増殖因子-ERKシグナル伝達経路は細胞増殖において最も重要な経路の一つとして知られています(図2)。また、このERK経路は発癌においても重要な役割を果たすことが明らかにされてきており、大腸癌をはじめとして多くの癌でERK経路を標的とした抗癌剤の開発が進められています。このような抗癌剤の開発には、細胞内でERK経路がどのように制御されているかを理解することが重要ですが、 従来の技術では生きた細胞一つ一つの中でERK活性を観察することは困難でした。


研究の内容と成果

図3

図3:本研究で用いたライブイメージングの実験手法

上記の問題を解決するために、今回の研究ではERKの活性を検出することができるセンサー分子(バイオセンサー)を全身で発現するようにした遺伝子改変マウスを使用しました。 このマウスの組織を二光子励起顕微鏡という特殊な顕微鏡で観察することで、 生きたマウスの腸上皮細胞一つ一つでのERK活性の動きや変化(活性動態)をリアルタイムに観察(ライブイメージング)することができる研究手法を開発しました。 また、オルガノイドという腸上皮細胞を3次元で培養する技術を利用することで、薬剤投与や遺伝子機能の変化がERK活性に与える影響も観察できるようになりました(図3)。


この研究手法を使ってマウスの腸上皮細胞を観察することにより、ERK活性には一定した活性と一過的なパルス状の活性という2つの活性の仕方があることを発見しました。 画像処理や数理処理を行ってERKの活性動態をくわしく解析すると(図4)、この2つの活性はEGFRとErbB2という2つの異なる増殖因子受容体によってそれぞれ制御されていることが明らかになりました。 さらに、腫瘍の形成過程ではERKのパルス状の活性が増加し、ERK活性動態にEGFRが寄与する割合が大きくなることを見出しました。 以上の研究成果は、大腸癌治療においてEGFR阻害薬が正常な腸上皮には重篤な副作用を示さず、大腸癌に選択的に効果を示すという実臨床における知見の生物学的背景を説明するものです。

図4

図4:ライブイメージングによるERK活性動態の定量的解析

研究の意義

細胞増殖の適切な制御は胚発生や成体組織における恒常性の維持、再生など、様々な生命現象の根幹を成しており、その異常は癌を始めとする多くの疾患と関係づけられています。 本研究で使用されたERK活性の可視化技術を応用することで、これらの現象や疾患の理解が深まり、新たな治療法の開発に貢献すると期待されます。


今後の展開

本研究で用いた手法は原理的には他の生体分子にも応用することが可能であり、 今後様々な生体分子の動態を一つ一つ解明することで、生命現象の新たなメカニズムを解明していきたいと考えています。


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