ERK分子の活性化の頻度による細胞の増殖速度の調節機構を発見
〜細胞はAM(振幅変調)方式ではなくFM(周波数変調)方式を利用している〜


 日本人の死因の第一位は悪性新生物(癌)であり、この疾患の征圧は喫緊の課題です。癌は、私たちの遺伝子に変異が入ることで発生します。癌を起こす過程にたいへん重要な遺伝子は100種類以上あり、それらは癌遺伝子と総称されています。これら癌遺伝子に変異が入ると、細胞内の情報伝達系に異常が起きて、細胞が増えるというシグナルが止まらなくなり、そのため癌細胞は無限に増殖するという特有の性質を獲得することになります。遺伝子情報伝達系の中でもRas-ERK情報伝達系は特に癌と関連することが知られており、この情報伝達系を構成するタンパク質を標的とした抗癌剤がすでに治療に使われ、またさらに多くの抗癌剤が開発されつつあります。ERKとういうタンパク質はこのRas -ERK情報伝達系の出力を司る分子であり、本学生命科学研究科の西田栄介教授らの研究から細胞の増殖や分化の制御に必須であることが知られています。ところで、これまでの先行研究の多くは、生化学的手法により、何百万個の細胞を使って、ERK分子の活性の平均値を測定してきました。しかし、1つの細胞の中でERK分子の活性がどのように変動するのか、またその機能的な役割については不明でした。


 では、このような不規則かつ一過性のERK分子活性化にはどういう意義があるのでしょうか?詳細な研究の結果、細胞の増殖が遅いときはERK分子活性化の頻度が低く、逆に細胞の増殖が速いときはERK分子の活性化の頻度が高いことが分かりました。この結果は、細胞の増殖の速さとERK分子の活性化の頻度に関連があることを示唆していました。これは、これまでのERK分子活性の大きさが細胞増殖の速度を決めているという考え方と大きく異なるものです。そこで、この仮説を直接検証するために、外部から青い光を当てるとERK分子が活性化する細胞を作製し、ERK分子の活性を光で制御したときの細胞の増殖速度を調べました。その結果、青い光を常に露光させた細胞では増殖の速さが変化しませんでしたが、1時間おきに青い光を細胞に当てると細胞の増殖が速くなりました。このことから、ERK分子の活性化の頻度、すなわち周波数が高いか低いかによって細胞の増殖の速さが決まることが明らかになりました。


 さらに次世代シークエンサーという装置を用いて遺伝子ネットワークを解析したところ、ERK分子を1時間おきに活性化させたときにだけ発現が引き起こされる遺伝子群を見出しました。これらの結果をまとめると、ERK分子はその活性化の強さではなく頻度、すなわち周波数によって細胞の増殖速度を調節していることが明らかになりました(図2)。先行研究の多くは、大多数の細胞をすりつぶして測定されたERK分子活性の平均値を基に細胞の状態を議論していました。本研究では、単一の細胞でERK活性を測定する方法を開発し、その結果、ERK分子の活性が生きた細胞内でとてもダイナミックに変動していること、さらにERK分子の活性化の細胞間伝播現象もERK分子の活性化頻度に影響することから、細胞同士がどのような形態で組織を構築しているのかも重要であることが明らかになりました。

 これらの結果は、これまでの手法では観察することが出来なかったものであり、最新の顕微鏡を用いた生細胞イメージングによって初めて明らかになった現象です。  Ras- ERK情報伝達系に限らず、多くの情報伝達系はAM(振幅変調)方式をとるとこれまで考えられています。本研究では、細胞がFM(周波数変調)方式を利用して細胞の増殖速度を調節していることを直接的に検証しました。  こういった概念は、より広範な現象に適用できる可能性があります。  また、本研究結果の大きな意義の一つとして、ERK分子活性の時系列情報から細胞の増殖速度を直接計算することが可能となった点が挙げられます。  今後、この利点を活かし、癌細胞の効果的な抗癌剤療法の予測や評価を行っていきたいと思います。本研究成果は科学雑誌「Molecular Cell」に掲載されました(こちら)。





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